首里城公園はそれでも見所盛りだくさん「首里城復興モデルコース」詳細レポート
今回の内容
それでも首里城は見所満載だった
2019年10月31日未明に発生した首里城の火災。
木造3階建ての正殿から出火して北殿、南殿などに延焼。6棟約4,200平方メートルがほぼ全焼するという痛ましい火災になりました。
沖縄県民の方はもちろんでしょうが、自分の周囲の人間も皆衝撃を受けていました。日本中でショックを受けた人の数は計り知れません。
そもそも首里城正殿は戦災で失われ、現在の建物は1992年に復元されたもの。そして2000年には首里城跡は中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式などに価値があるとされ世界遺産として登録されました。
今回自分が那覇旅行に行くにあたり、首里城を見学するかどうかは決めかねていました。見たら自分も再びショックを受けるのは間違いないし、このような時期に行くべきではないか悩みました。
しかし、行ってみると確かに焼け果てた正殿の姿には心が傷んだものの、他には見所が満載で行って良かったと思いました。
今回の記事は首里城が用意してくれた「首里城復興モデルコース」に沿って周った首里城公園の見所を中心に紹介していきたいと思います。
ゆいレールと徒歩で首里城に行く方法
首里城はゆいレールで行くことができる
那覇観光は車がないと辛いという話をよく聞きますが、首里城公園は沖縄唯一の鉄道である沖縄都市モノレール線(ゆいレール)で行くことができます。
那覇空港から最寄り駅の首里まで約30分。首里駅から首里城公園まで徒歩15分くらいです。
なおゆいレールは1番安い区間で230円。那覇空港から首里でも340円かかります。自分は800円の一日乗車券を利用しました。
県庁前駅が最寄りのホテルに宿泊し、首里城に行く以外にもゆいレールを数回利用したので元は十分に取れました。
首里駅から首里城公園の行き方
首里城の位置ですが、ゆいレールで首里駅の1つ前の儀保駅を出た後、進行方向右側の小高い丘に朱色を基調としたいかにも歴史的な建造物群が見えるので、この位置を抑えておくと迷わないと思います。
首里駅を降りてから途中まで首里城公園行きの標識がたくさんあります。なぜか近くになるとなくなりますが、これは首里城公園の入り口がたくさんあるためと思います。
首里駅から1番近い首里城公園の入口は駅を降りてから何度か蛇行しながらも道沿いを歩き「当蔵」の交差点を左に曲がります。(交差点の手前に茶色いローソンがあります)
しばらくすると個性的な外観の沖縄県立芸術大学が見えてきます。
〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町1丁目4
地図は首里駅から歩いてくる人向けに沖縄県立芸術大学の地図を載せておきます。
大学の少し先に首里城公園の入口があります。
首里城復興モデルコースの開始は守礼門がお勧め
首里城復興モデルコースがあるというのは現地に来るまで知りませんでした。
今回はこれに沿って行こうと決心しましたが、①の「首里杜館(すいむいかん)」の場所がどこか分かりません。この近くではない様子。というか今いる場所の名前がありません。
(どうやらゆいレールでなく車で来る人を念頭においたルートらしい)
調べてみると①の「首里杜館」はインフォメーションセンター兼お土産屋で、こちらからは結構離れています。(後で分かりましたが大型バスや車の駐車場からはすぐでした)
これを理解するのに少し時間がかかりました。「首里杜館」はどうせ最後にたどり着くので、最初は5分くらい歩いて「守礼門」から始めるのが良いと思います。
とうことで、最初に状況を理解するのに時間がかかりましたが、歩き始めます。
最初に池と綺麗なお堂が見えたので写真に収めます。後でガイドブックを見て分かったのですが、池は「龍潭」、お堂は「弁財天堂」でした。
なお、ガイドブックは安心と信頼の「るるぶ沖縄’21」。見所が簡潔にまとまっていてこの日は大いに活用させてもらいました。
その後「久慶門」がありましたが、あまり重要でない?ようなのでそのまま坂を登ります。途中にも歴史的建造物はあるようでしたが、「守礼の門」をまず見てから戻ってくることにしました。
首里城復興モデルコース 守礼の門~広福門
守礼門が見えてきました。
小さくてびっくり。今や亡き?2,000円札にも描かれた超有名な門なので巨大な門かと思いきや。ブリュッセルの小便小僧ほどではないですが。
でも少し小さいだけで正面からよく見ると威風堂々というか威厳があります。
ここに書かれた「守禮之邦」(しゅれいのくに)は琉球は礼節を重んじる国という意味だそうです。文化水準の高さを示すことは敵に攻め込まれないための知恵の1つだったのでしょうね。
少し先に進むと(このルートでは少し戻ると) 復興モデルコースにはないですが、世界遺産の「園比屋武御嶽石門」(そのひゃんうたきいしもん)があります。
1519年に築かれた門で、王家の拝所として使用された門。国王が城外に出る時に道中の安全を祈願したとか。
ところで、こちらの写真を撮ろうとしたところ熱心にお供え者と共にお祈りしている男女がいます。写真を撮るためにどいてほしかったのですが、こちらこそ邪魔者である可能性が大。
少し離れたところで10分ほど休憩して戻ってきたらお祈りは終わっていたようでした。
国王が城外に出る時に道中の安全を祈願とのことですが、国王が城外ということは船で渡航するという事でしょうか?中国などへの渡航は危険が伴ったかもしれず神聖な場所であることは分かります。
そしていよいよ城内に入ります。第一の正門は歓会門。
シンプルに歓迎するということでしょうか。そういえば中国のいらっしゃいませに相当する言葉は「歓迎光臨」。今や日本のドラッグストアでもよく見かけます。
首里城公園はそこまでキツイ感じでは大変ではありませんが、多少の階段はあります。
この階段を少し登って右側にあるのが龍桶(りゅうひ)。
怖いというより何かユーモアがあります。
龍樋は中国から持ち帰ったもので、かつては王宮の飲料水として使われていたそうです。湧き出す水は瑞泉とも呼ばれていていたとか。
この階段を登り切ったところにあるのが瑞泉門。龍樋にちなんで名付けられました。
首里城郭内に入るための第三の門が「漏刻門」。「漏刻」とは中国の言葉で水時計のこと。
かつて門の櫓に水槽が設置されていて、そこから水が漏れる量で時間を計ったといわれています。実物を見てみたい気もしますね。
この扉の先には火災の傷跡が見えます。
ただモデルコースは「広福門」となっています。あれっどこかな?少し探します。
ありました。
「広福」とは「福を行き渡らせる」という意味。わかりやすいですね。それにしても幸福、口福、広福と同じ音で意味が違っても縁起の良い名前ばかりです。
首里城 正殿を中心とした火災後の様子
想定はしていましたが、火災の大きさを物語る瓦礫の山に心が痛みます。
右の建物が奉神門。通常はここから正殿に入るようです。
ここを含め正殿を中心としたエリアは有料区域で首里城のメインと言える場所。今回、有料区域は全面的に入場不可になっていました。
こちらの写真が1番災害が大きい部分でしょうか?
このような姿はなるべく見せたくないと思いますが、火事の原因を特定するのに時間がかかっているためにそのままにしているという話でした。
時間はかかると思いますが、復興が完成した折にはぜひとも再訪したいと思います。
首里城復興モデルコース 西のアザナ~首里杜館
1番短い復興モデルコースだと後は展望台を見てほぼ終了です。
西(いり)のアザナは首里城一のビュースポット。
那覇の市街地が見渡せます。手前に見える建物は首里杜館。
入口が小さいけど堅牢な感じの木曳門を過ぎると、首里杜館が見えてきます。
自分が行った時は修学旅行生が大勢。名物のアイスクリームを食べている生徒もちらほら。
インフォメーションセンターもありましたが、基本はお土産屋のようです。
首里城復興モデルコース 銭蔵~継世門
首里杜館から守礼門はすぐ。メインルートだけを進むと首里城公園はあまり大きくありません。まだ時間があるのでもう1つの復興モデルコース(モデルコース4)を行くことにします。
しかし、今までのモデルコースは修学旅行生を中心にものすごい人でしたが、ここからは閑散としています。
銭蔵は焼酎(あわもり)や油類、初座への日用銭等を管理する施設だったとか。
現在はその面影はなく単なる休憩スペースになっています。自分もここで10分ほど休憩します。
北城郭の左側にある階段を昇っていきます。それにしても人がいません。
この急な階段を登ったところは東のアザナと言われる場所とか。
モデルコースに記載はあったものの看板等はありませんでした。日頃はもう少し上にも行けるようですが、この日は閉鎖されていました。
そして階段を降りて最後にあるのが継世門。猛威を猛威をふるっていた倭寇に備え、1544年に建てられたとか。
ここを出ると首里城から一旦離れれることになります。
しかし、ここから復興モデルコースに沿って金城町石畳道、その後に世界遺産の玉陵、名勝池 龍潭、弁財天堂など、ここからも楽しい旅行が続きました。詳しくは次回の記事で紹介したいと思います。